
1人の総合内科医の挑戦から始まった。
背景は十人十色。 その懐の深さがひたちなかGIM
管理人・柴﨑俊一。長野県茅野市、諏訪中央病院で初期・後期研修を受け、総合内科専門医として腎臓・透析を背骨に据えた。2017年、ひたちなかにやって来たとき、この街に「総合内科」はまだ名前すらなかった。自分の診療に一定の自信はあったが、ネームバリューなど、当時一切ない。あるのは、気概だけ。ただ、目の前には問題が山積だった。複雑な症例、社会的により弱い立場の方の診療に、明らかに課題があった。周囲から理解は必ずしも得られない。けれど、誰よりもハードワークをこなし、徹頭徹尾ベッドサイドで診療を行った。周囲からの相談に積極的に乗った。これらの積み重ねが、じわじわと空気を変えた。
気づけば、一人で始めた診療科は、毎年「来たい」と言ってくれる若手が現れる場になった。十数名を超える仲間たちの履歴はある意味で「不揃い」だ。救急上がりの手技派、内科の思索家、家族の物語まで聴きにいく家庭医志望、専門を横断して“やり直す”転科組。得意も苦手も違う者どうしが、同じ患者を前に肩を並べると、奇妙に噛み合ってチームになる。ここには、そのズレを喜ぶ文化がある。合言葉は「考・愛・協」。日々問うことをやめない態度こそが、患者にも、互いにも誠実だと信じている。
海風が抜ける地方都市の病院は、華やかな舞台装置とは無縁だ。けれど、カンファレンス室に残るホワイトボードの走り書きや、医局での議論後に漂う“次はこうしよう”の余韻は、都市の眩しさに負けない熱を持つ。ここでは失敗は汚点ではない。患者の快復の一歩に変換される学びの資産だ。誰かの挑戦が別の誰かの背中を押し、気づけば自分も少し遠くへ来ている——そんな循環が日常になる。派手さの代わりにあるのは、確かな手応えだ。難しい診療に目処がつき、患者の表情が和らぐ瞬間、若手の眼差しに灯る自信。異なる歩幅で歩いてきた人が集い、もう一度自分の医学をつくり直す場所。地図の端っこに見える“地方”で、医療のど真ん中を耕す。その静かな誇りが、このひたちなかGIMの不思議な引力だ。
茨城の地方都市:ひたちなかではじまる、GIM。


